
南三陸町 ベイサイドアリーナ
こんにちは しみ抜き職人 まことです
5月22日に行ってきた南三陸町の状況をお知らせするのも一先ず
今回で最後となります
次回からは本来の染み抜きブログに戻りますのでご勘弁くださいませ
さて最終となる今日は・・・
ベイサイドアリーナの様子 です
南三陸町内でも今回の震災での地震自体の被害というのはそれほど大きくなく
高台にある学校などは避難所として使われているというのは前回も書きました
そんな中で ボランティアセンター等もあり、南三陸町の避難所中核施設と言えるのが
『ベイサイドアリーナ』 です
元々体育館やホールなどを備えた総合施設なんですが、僕らが行く1週間前の
5月15日まではここにも被災者の方々が避難していたそうです
因みに建て物は・・・

このように都内でもなかなかお目にかかれないほど立派な物ですが
何せ 水道の復旧率が 1% なんでトイレは仮設で・・・



御覧の状態です・・・
おまけにこの仮設トイレは鍵も無く入口がしっかり閉まらないので・・・

御覧のように表から見えてしまうんで女性などはとても出来る代物ではありません
特に照明も無いので夜間などは怖くてとても利用できませんね
勿論、工事現場などで使われているような仮設トイレもありましたが
これだけの施設に対してわずか5個ほどだったのでこのトイレも使わざるを得ないようです
それに引き換え、ボランティアセンターはテントながらも仕組みがしっかりしており・・・

定期的にこんなかわら版も・・・

発行していたりして、一生懸命に取り組んでいるな~と感じました
僕らが次回訪問時に行う予定の炊き出しの予約や打ち合わせもここで行いました
ただそんなボランティアの方々も寝るのは表に張ったテントです
さらにここには津波によって使用不能となってしまった南三陸町立志津川病院の
仮設診療所があり、・・・



御覧のようにあくまで仮設ながらしっかりしたプレハブで受付もあり、
内科、外科などに部屋が分かれているかなり本格的な診療所でした
これは何とイスラエル軍の医療チームがプレハブ、医療器具、発電機などと共に
現地に入りしばらく医療活動を行った後に日本人医療チームに引き継ぎ
全てを置いて行ってくれた物なんです!!!
これには本当に驚き、今まで日本の自衛隊や医療チームなどが海外の
震災や紛争地域などで行ってきた事も本当に感謝されるものだったんだろうなと
思いました
反対にはるかイスラエルからこれだけの設備が届くのになぜ炊き出し用の
プレハブやもっとマシなトイレが届いていないかが本当に疑問です
日本赤十字社などに集められた義援金っていったい何に使われるべき物なんでしょうか?
4回にわたり、お伝えしてきましたがどう感じましたか?
僕はとにかくこれが21世紀の日本の現状なんだ ということに大きな
ショックを受けました
本格的な街の復興はすぐにはいかないのは判りますが、被災者の方の
生活改善はとにかく早急に行われるべきだと思いました
なんで今回の報告は僕が感じたその点に集中的な内容になったかも
しれませんが、人なくして街の復興などあり得ない と思います
実際に先に不安を感じて長年住み慣れた町を出る方が多いと聞きました
とにかく長い時間のかかる復興になるのは間違いないので僕らが出来ることは
些細な物ですが、被災者の方に直接届く支援を継続していくつもりです
これをきっかけに南三陸町等被災地のホームページを見たり、支援の輪が少しでも
広がればな~ なんて思ってます
ではまた
5月22日に行ってきた南三陸町の状況をお知らせするのも一先ず
今回で最後となります
次回からは本来の染み抜きブログに戻りますのでご勘弁くださいませ

さて最終となる今日は・・・
ベイサイドアリーナの様子 です
南三陸町内でも今回の震災での地震自体の被害というのはそれほど大きくなく
高台にある学校などは避難所として使われているというのは前回も書きました
そんな中で ボランティアセンター等もあり、南三陸町の避難所中核施設と言えるのが
『ベイサイドアリーナ』 です
元々体育館やホールなどを備えた総合施設なんですが、僕らが行く1週間前の
5月15日まではここにも被災者の方々が避難していたそうです
因みに建て物は・・・

このように都内でもなかなかお目にかかれないほど立派な物ですが
何せ 水道の復旧率が 1% なんでトイレは仮設で・・・



御覧の状態です・・・
おまけにこの仮設トイレは鍵も無く入口がしっかり閉まらないので・・・

御覧のように表から見えてしまうんで女性などはとても出来る代物ではありません
特に照明も無いので夜間などは怖くてとても利用できませんね
勿論、工事現場などで使われているような仮設トイレもありましたが
これだけの施設に対してわずか5個ほどだったのでこのトイレも使わざるを得ないようです
それに引き換え、ボランティアセンターはテントながらも仕組みがしっかりしており・・・

定期的にこんなかわら版も・・・

発行していたりして、一生懸命に取り組んでいるな~と感じました
僕らが次回訪問時に行う予定の炊き出しの予約や打ち合わせもここで行いました
ただそんなボランティアの方々も寝るのは表に張ったテントです
さらにここには津波によって使用不能となってしまった南三陸町立志津川病院の
仮設診療所があり、・・・



御覧のようにあくまで仮設ながらしっかりしたプレハブで受付もあり、
内科、外科などに部屋が分かれているかなり本格的な診療所でした
これは何とイスラエル軍の医療チームがプレハブ、医療器具、発電機などと共に
現地に入りしばらく医療活動を行った後に日本人医療チームに引き継ぎ
全てを置いて行ってくれた物なんです!!!
これには本当に驚き、今まで日本の自衛隊や医療チームなどが海外の
震災や紛争地域などで行ってきた事も本当に感謝されるものだったんだろうなと
思いました
反対にはるかイスラエルからこれだけの設備が届くのになぜ炊き出し用の
プレハブやもっとマシなトイレが届いていないかが本当に疑問です
日本赤十字社などに集められた義援金っていったい何に使われるべき物なんでしょうか?
4回にわたり、お伝えしてきましたがどう感じましたか?
僕はとにかくこれが21世紀の日本の現状なんだ ということに大きな
ショックを受けました
本格的な街の復興はすぐにはいかないのは判りますが、被災者の方の
生活改善はとにかく早急に行われるべきだと思いました
なんで今回の報告は僕が感じたその点に集中的な内容になったかも
しれませんが、人なくして街の復興などあり得ない と思います
実際に先に不安を感じて長年住み慣れた町を出る方が多いと聞きました
とにかく長い時間のかかる復興になるのは間違いないので僕らが出来ることは
些細な物ですが、被災者の方に直接届く支援を継続していくつもりです
これをきっかけに南三陸町等被災地のホームページを見たり、支援の輪が少しでも
広がればな~ なんて思ってます

ではまた